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日本の国益


by Jam
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タグ:東北アジア歴史財団による歴史の捏造 ( 1 ) タグの人気記事


【韓国側の批判2】

領有意思の再確認は、独島が自国の固有の領土という主張に基づいている。だが独島が日本固有の領土という主張は1877年、日本の最高行政機関である太政官が、欝陵島と独島が日本と関係ないということを心得よとした事実と、正面から対峙する。




【東北アジア歴史財団による歴史の捏造】

東北アジア歴史財団をはじめ、韓国側の竹島研究には特徴がある。文献の一部を拡大解釈して、文献批判を怠ることである。その典型が、1877年の「太政官指令」の解釈である。

東北アジア歴史財団では、1877年の「太政官指令」を「欝陵島と独島が日本と関係ないということを心得よとした」と解釈した。

だが「太政官指令」で、「竹島外一島本邦関係これ無し」とされた外一島は、3年後の1880年9月13日、天城艦の測量で、欝陵島であったことが確認されていた。外務省嘱託の北澤正誠は、その測量結果に依拠して『竹島考証』(1881年)をまとめたことから、欝陵島は松島とも呼称されることになるのである。


1905年、竹島が島根県に編入される際、江戸時代まで欝陵島の名称であった竹島と命名された理由が、ここにある。隠岐島司の東文輔は、その新島に竹島と命名する根拠について「欝陵島ヲ竹島ト通称スルモ、其実ハ松島ニシテ、海図ニ依ルモ瞭然タル次第ニ有之候。左スレハ此新島ヲ措テ他ニ竹島ニ該当スヘキモノ無之。依テ従来誤称シタル名称ヲ転用シ、竹島ノ通称ヲ新島ニ冠セシメ候方可然ト存候」との見解を具申している(注1)。

東文輔は、新島には本来の松島の名を冠すべきだが、すでに海図等では欝陵島が「松島」と表記されている。新たに編入される島には、欝陵島の呼称であった竹島の名称を使うべきだ、としたのである。この島名の入れ替わりは、1840年、シーボルトの「日本図」(図1)で、実在しないアルゴノート島に竹島と表記され、欝陵島が松島とされたことに起因する。

そこに1849年、フランスの捕鯨船リャンコールト号が現在の竹島を発見すると、西洋の海図には竹島と松島の他に新たにリャンコールト岩(現、竹島)が登場し(図2)、その後、海図上から幻のアルゴノート島(竹島)が消えて、欝陵島は松島となったのである。


この事実は、「太政官指令」が出された1877年当時、海図や地図に描かれた竹島と松島は、今日の竹島とは全く関係がなかったということである。

従って東北アジア歴史財団が主張するような「1877年、日本の最高行政機関である太政官が、欝陵島と独島が日本と関係ないということを心得よとした事実」は無く、太政官が「本邦関係これなし」としたのは、幻のアルゴノート島と欝陵島だったのである。

東北アジア歴史財団は「太政官指令」を拡大解釈し、外一島の松島を江戸時代以来の竹島と決め付けたが、歴史の変遷に注意して「太政官指令」を読めば、1877年当時の松島は欝陵島だったのである。東北アジア歴史財団は、ここでも歴史を捏造していたのである。



韓国が知らない独島の虚偽




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by koubou-ohayou | 2014-02-26 00:50 | 竹島・日本海