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タグ:朝日新聞 ( 7 ) タグの人気記事

メモ

後藤健二氏が朝日での仕事で中東と日本を往復していた事、そして湯川遙菜はそのカメラマンをしていた。それが実際にテレビ朝日で使われていた。この情報を私たちは拡散していくべきです。
https://twitter.com/yui01208/status/564737891473952768



HARUNAのブログ
「報道ステーションでは僕がカメラを持って撮影してます。」
http://amba.to/1vizEaX

ええ?!
これ、湯川さんが誘拐されるちょっと前の時期…。

レポートが後藤さんでカメラが湯川さん???
報ステの取材???
https://twitter.com/thunder_bando/status/563648627696861185



目覚めたひとのブログ*
by koubou-ohayou | 2015-02-12 14:33 | 朝日新聞
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古舘伊知郎氏 朝日新聞の従軍慰安婦報道に「人間は間違いを犯す前提」
http://news.livedoor.com/article/detail/9607216/
2014年12月23日 20時15分


e0241684_2241264.png


22日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、古舘伊知郎氏が、朝日新聞の従軍慰安婦報道についてコメントした。

番組では、朝日新聞の慰安婦報道を検証する第三者委員会が公表した報告書を特集した。報告書によると、慰安婦の強制連行があったとする吉田清治氏の証言を、朝日新聞が虚偽であると訂正したことについて、朝日新聞社内の検証チームは読者に「おわび」する紙面案を作成したが、木村伊量前社長と経営幹部らが協議した結果、謝罪しないことになったという。

そして報告書のまとめとして「今回の問題の多くは編集に経営陣が過剰に介入し、読者のための紙面ではなく朝日新聞社の防衛のための紙面を作ったことに主な原因があるというべきである」と、述べられていたことを紹介した。

スタジオでは古舘氏が「これで思うことは、本当に人間は間違いを犯すんだということ。これを前提にして、間違いを犯した時に、素早く、どう対応をするかが非常に問題であり、そこが一番肝心なところだということ痛感する次第です」と語った。
--ここまで--




慰安婦問題で一体何がおきたのか 年表(メモ)

1991年(平成3年)8月11日~
朝日新聞が慰安婦大特集というのをやった。
現地の新聞社(済州新聞)が「この話は嘘だ」と指摘しているのに、その結論の後に朝日新聞が「済州島で朝鮮人を強制連行したんだ」と言って大特集を組む。

その後1999年(平成11年)
秦 郁彦先生が「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)という本を改めて出し、「吉田証言」これがデタラメであると研究結果として発表。


吉田証言は虚偽であるという事を、現地の新聞社が発表しているにも関わらず1991年(平成3年)8月11日~朝日新聞は慰安婦強制連行大特集というのを組んだ。


自分たちは真実だと思ってそれを特集組みましたと。
例えばそれを「本当に知らなかった」、「済州新聞など知らなかった」と言うけれど
「知らない」という時点でこれは取材していないという事ですから。
「現地に行って、現地で取材している」という話だった。だからそれも嘘という事になりますよ。


仮に朝日新聞が「済州新聞など知らない」と言ったとしても
1991年(平成3年)に朝日新聞が特集をやって
1999年(平成11年)秦 郁彦先生が「慰安婦と戦場の性」を出して、その中でも「吉田証言が虚偽である」と、「有り得ない」という事を証明しているのだから
撤回するチャンスというのはいくらでもあった。


それを敢えて引き延ばしに引き延ばして朝日が大特集をやってから23年間放置して、ここにきて「あれは間違いでした」と。


それを敢えて引き延ばしに引き延ばして朝日が大特集をやってから23年間放置して、ここにきて「あれは間違いでした」と。




古舘氏→「これで思うことは、本当に人間は間違いを犯すんだということ。これを前提にして、間違いを犯した時に、素早く、どう対応をするかが非常に問題であり、そこが一番肝心なところだということ痛感する次第です」



ま ち が い ・ ・ ・





南関東地区 デモ&パレードのお知らせ2674年11月・12月
行動する保守運動のカレンダー全国版
目覚めたひとのブログ*
by koubou-ohayou | 2014-12-24 22:10 | 朝日新聞


動画説明
転載元http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/40215565.html



朝日新聞に穢された、わたしたちのご先祖様
http://www.nicovideo.jp/watch/sm24196248




■読者のみなさまへ
日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。

一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。

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>但しこれは、軍が気がついた段階で取り締まって、慰安所を閉鎖し
>関わった人間はBC級戦犯..
>中には死刑の判決を受けている者も居るということでいうと
>これは強制連行の証拠ではなくて、むしろ日本軍が強制連行はしていなかったという資料と読み解くべきでしょう。






南関東地区 デモ&パレードのお知らせ2674年7月/8月
行動する保守運動のカレンダー全国版
目覚めたひとのブログ*
by koubou-ohayou | 2014-08-10 12:04 | "慰安婦"問題
→【画像】朝日新聞「吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」
http://hosyusokuhou.jp/archives/39486391.html
2014年08月05日14:28 | カテゴリ:マスコミ


→朝日新聞「吉田清治の嘘は認める。但し、嫁が韓国人である植村隆が報じた慰安婦記事に意図的な事実のねじ曲げなどはありません」
http://hosyusokuhou.jp/archives/39486688.html
2014年08月05日16:05 | カテゴリ:マスコミ





強制連行 自由を奪われた強制性あった
2014年8月5日05時00分
http://www.asahi.com/articles/ASG7M03C6G7LUTIL06B.html

〈疑問〉政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。


慰安婦問題に注目が集まった1991~92年、朝日新聞は朝鮮人慰安婦について、「強制連行された」と報じた。吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言(「『済州島で連行』証言」で説明)を強制連行の事例として紹介したほか、宮沢喜一首相の訪韓直前の92年1月12日の社説「歴史から目をそむけまい」で「(慰安婦は)『挺身(ていしん)隊』の名で勧誘または強制連行され」たと表現した。

当時は慰安婦関係の資料発掘が進んでおらず、専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。秦郁彦氏も80年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した=注①。

もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、日本内地や軍占領地の炭鉱や鉱山などに労働者として動員したことを指していた=注②。60年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び=注③=、メディアにも広がった経緯もあり、強制連行は使う人によって定義に幅がある。

こうした中、慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解=注④=と、「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方=注⑤=が研究者の間で今も対立する状況が続いている。

朝鮮半島でどのように慰安婦が集められたかという過程は、元慰安婦が名乗り出た91年以降、その証言を通して次第に明らかになっていく。

93年2月、「韓国挺身隊問題対策協議会」は、元慰安婦約40人のうち「信憑性(しんぴょうせい)に自信が持てる」(鄭鎮星〈チョンジンソン〉)・挺身隊研究会会長)19人の聞き取りを編んだ証言集を刊行。「軍人や軍属らによる暴力」があったと語ったのは4人で、多くは民間業者が甘い言葉で誘ったり、だまして連れて行ったりする誘拐との内容だった。

慰安婦たちは、徴集の形にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におびえ性病や不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語っていた。

93年8月に発表された宮沢政権の河野洋平官房長官談話(河野談話)は、「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましいものだった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めた。関係省庁や米国立公文書館などで日本政府が行った調査では、朝鮮半島では軍の意思で組織的に有形力の行使が行われるといった「狭い意味の強制連行」は確認されなかったといい、談話は「強制連行」ではなく、戦場の慰安所で自由意思を奪われた「強制」性を問題とした。

談話発表に先立つ7月には、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会事務所で、日本政府が元慰安婦たちに聞き取りをした。今年6月に発表された河野談話作成過程の検証チーム報告は、聞き取りの目的について「元慰安婦に寄り添い、気持ちを深く理解する」とし、裏付け調査などを行わなかったことを指摘した。

河野談話の発表を受け、朝日新聞は翌日の朝刊1面で「慰安婦『強制』認め謝罪 『総じて意に反した』」の見出しで記事を報じた。読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は「強制連行」を使わなかった。

官房長官への取材を担当していた政治部記者(51)は、専門家の間でも解釈が分かれていることなどから「強制連行」とせず単に「強制」という言葉を使ったのだと思う、と振り返る。「談話や会見、それまでの取材から読み取れたのは、本人の意思に反する広い意味での強制連行を認めたということだった。しかし、強制連行という語を使うと読者の誤解を招くと考え、慎重な表現ぶりになった」

93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた。

97年春に中学教科書に慰安婦の記述が登場するのを機に、朝日新聞は同年3月31日朝刊でこの問題を特集した。

日本の植民地下で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない。貧困や家父長制を背景に売春業者が横行し、軍が直接介入しなくても、就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められたという。一方、インドネシアや中国など日本軍の占領下にあった地域では、兵士が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合軍の戦犯裁判などの資料に記されている。インドネシアでは現地のオランダ人も慰安婦にされた。

97年の特集では「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いられたりした場合は強制があったといえる」と結論づけた。

河野談話が発表されて以降、現在の安倍内閣も含めて歴代の政権は談話を引き継いでいる。一方、日本軍などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に、「強制連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してきた。

朝鮮など各地で慰安婦がどのように集められたかについては、今後も研究を続ける必要がある。だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある。

これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。

■読者のみなさまへ

日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。

(以下略)
--ここまで--





「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
http://www.asahi.com/articles/ASG7L71S2G7LUTIL05N.html
2014年8月5日05時00分


〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。


男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。

朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。

90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。

92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。

東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。

97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。

しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。

今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。

干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。

93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。

吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという。

吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=注①。

戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。

吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。

■読者のみなさまへ

吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。


(以下略)
--ここまで--




「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視
2014年8月5日05時00分
http://www.asahi.com/articles/ASG7M01HKG7LUTIL067.html

〈疑問〉朝鮮半島出身の慰安婦について朝日新聞が1990年代初めに書いた記事の一部に、「女子挺身(ていしん)隊」の名で戦場に動員された、という表現がありました。今では慰安婦と女子挺身隊が別だということは明らかですが、なぜ間違ったのですか。


「女子挺身隊」とは戦時下の日本内地や旧植民地の朝鮮・台湾で、女性を労働力として動員するために組織された「女子勤労挺身隊」を指す。44年8月の「女子挺身勤労令」で国家総動員法に基づく制度となったが、それまでも学校や地域で組織されていた。朝鮮では終戦までに、国民学校や高等女学校の生徒ら多くて約4千人が内地の軍需工場などに動員されたとされる=注①。目的は労働力の利用であり、将兵の性の相手をさせられた慰安婦とは別だ。

だが、慰安婦問題がクローズアップされた91年当時、朝日新聞は朝鮮半島出身の慰安婦について「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」(91年12月10日朝刊)、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(92年1月11日朝刊)と書くなど両者を混同した。

原因は研究の乏しさにあった。当時、慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、歴史の掘り起こしが十分でなかった。朝日新聞は、国内の工場で働いた日本人の元挺身隊員を記事で取り上げたことはあったが、朝鮮半島の挺身隊の研究は進んでいなかった。

記者が参考文献の一つとした「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)は、慰安婦について「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた」と説明した。執筆者で朝鮮近代史研究者の宮田節子さんは「慰安婦の研究者は見あたらず、既刊の文献を引用するほかなかった」と振り返る。

宮田さんが引用した千田夏光氏の著書「従軍慰安婦」は「“挺身隊”という名のもとに彼女らは集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ないし七万人”とされている」と記述していた。

朝鮮で「挺身隊」という語を「慰安婦」の意味で使う事例は、46年の新聞記事にもみられる。44年7月に閣議決定された朝鮮総督府官制改正の説明資料には、未婚の女性が徴用で慰安婦にされるという「荒唐無稽なる流言」が拡散しているとの記述がある。

挺身隊員が組織的に慰安婦とされた事例は確認されていないが、日本の統治権力への不信から両者を同一視し、恐れる風潮が戦時期から広がっていたとの見方がある=注②。元慰安婦の支援団体が「韓国挺身隊問題対策協議会」を名乗っており、混同が残っているとの指摘もある。

92年1月の宮沢首相の訪韓直前、韓国の通信社が国民学校に通う12歳の朝鮮人少女が挺身隊に動員されたことを示す学籍簿が見つかったとする記事を配信。「日本は小学生までを慰安婦にした」と誤解され、対日感情が悪化した。

朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた。当時のソウル支局長(72)は「挺身隊として日本の軍需工場で働いた女性たちが『日本軍の性的慰みものになった』と誤解の目で見られて苦しんでいる実態が、市民団体の聞き取りで明らかになったという事情もあった」と話す。

■読者のみなさまへ

女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。

(以下略)
--ここまで--




「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない
2014年8月5日05時00分
http://www.asahi.com/topics/ianfumondaiwokangaeru/



〈疑問〉元朝日新聞記者の植村隆氏は、元慰安婦の証言を韓国メディアよりも早く報じました。これに対し、元慰安婦の裁判を支援する韓国人の義母との関係を利用して記事を作り、都合の悪い事実を意図的に隠したのではないかとの指摘があります。


問題とされる一つは、91年8月11日の朝日新聞大阪本社版の社会面トップに出た「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事だ。

元慰安婦の一人が、初めて自身の体験を「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)に証言し、それを録音したテープを10日に聞いたとして報じた。植村氏は当時、大阪社会部記者で、韓国に出張。元慰安婦の証言を匿名を条件に取材し、韓国メディアよりも先んじて伝えた。

批判する側の主な論点は、①元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部である義母から便宜を図ってもらった②元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いたという点だ。

植村氏によると、8月の記事が掲載される約半年前、「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の幹部梁順任(ヤンスニム)氏の娘と結婚した。元慰安婦を支援するために女性研究者らが中心となってつくったのが挺対協。一方、遺族会は戦時中に徴兵、徴用などをされた被害者や遺族らで作る団体で挺対協とは異なる別の組織だ。

取材の経緯について、植村氏は「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と話す。元慰安婦はその後、裁判の原告となるため梁氏が幹部を務める遺族会のメンバーとなったが、植村氏は「戦後補償問題の取材を続けており、元慰安婦の取材もその一つ。義母らを利する目的で報道をしたことはない」と説明する。

8月11日に記事が掲載された翌日、植村氏は帰国した。14日に北海道新聞のソウル特派員が元慰安婦の単独会見に成功し、金学順(キムハクスン)さんだと特報。韓国主要紙も15日の紙面で大きく報じた。

植村氏は前年の夏、元慰安婦の証言を得るため韓国を取材したが、話を聞けずに帰国した経緯もあり、詳しい取材のいきさつは、朝鮮半島問題を扱う月刊誌「MILE(ミレ)」(91年11月号)に書いた。この時期、植村氏の記事への批判はまだ出ていなかった。

また、8月11日の記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」などと記したことをめぐり、キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず、挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いた――との批判がある。

慰安婦と挺身隊との混同については、前項でも触れたように、韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した。

元慰安婦の金さんが「14歳(数え)からキーセン学校に3年間通った」と明らかにしたのは、91年8月14日に北海道新聞や韓国メディアの取材に応じた際だった。キーセン学校は宴席での芸事を学ぶ施設だ。韓国での研究によると、学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた。中には生活に困るなどして売春行為をしたキーセンもおり、日本では戦後、韓国での買春ツアーが「キーセン観光」と呼ばれて批判されたこともあった。

91年8月の記事でキーセンに触れなかった理由について、植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と話し、「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」と説明する。その後の各紙の報道などで把握したという。

金さんは同年12月6日、日本政府を相手に提訴し、訴状の中でキーセン学校に通ったと記している。植村氏は、提訴後の91年12月25日朝刊5面(大阪本社版)の記事で、金さんが慰安婦となった経緯やその後の苦労などを詳しく伝えたが、「キーセン」のくだりには触れなかった。

植村氏は「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」と説明。「そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた」といい、8月の記事でもそのことを書いた。

金さんらが日本政府を相手に提訴した91年12月6日、別の記者が書いた記事が夕刊1面に掲載されたが、キーセンについては書いていない。その後も植村氏以外の記者が金さんを取り上げたが、キーセンの記述は出てこない。

■読者のみなさまへ

植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません。91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした。

--ここまで--



他、全文はこちら↓
→慰安婦問題を考える










南関東地区 デモ&パレードのお知らせ2674年5月~6月
行動する保守運動のカレンダー全国版
目覚めたひとのブログ*
by koubou-ohayou | 2014-08-05 18:54 | ニュース

車放火容疑で朝日新聞配達員逮捕 2人死傷の住宅火災など8件に関与か「ほかにもやった」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140318/crm14031811470003-n1.htm
2014.3.18 11:47



駐車場の車に放火したとして、警視庁板橋署は、器物損壊容疑で、東京都板橋区大山西町、朝日新聞配達員、長岩拓人容疑者(32)を現行犯逮捕した。周辺では、前後約1時間に、民家が全焼して2人が死傷するなど、ほかに7件の不審火が発生。同署では関連を調べている。

逮捕容疑は、17日午後11時5分ごろ、同区大山町の駐車場で、乗用車のバンパーにライターで火を付けたとしている。

長岩容疑者は当時、酒に酔った状態で、「むしゃくしゃしてやった。ほかにもやった気がする」と供述しているという。

同署によると、同日午後10時10分ごろ、同区大山金井町の民家から出火し、木造2階建て住宅約100平方メートルが全焼。住人の無職、登坂(とさか)ふみ子さん(88)が搬送先の病院で死亡、息子とみられる60代の男性もやけどの重傷を負った。


この火災後、半径約150メートルの範囲で、駐車場やコンビニエンスストアで車や商品が燃える不審火が相次いだ。うち1件で長岩容疑者が立ち去った後、車のバンパーが燃えているのを住民が目撃。近くにいた同署員がライターを持っていた長岩容疑者を取り押さえた。

朝日新聞東京本社販売局局のコメント「弊社の取引先である販売所の従業員がこのような事件で現行犯逮捕されたことを大変重く受け止めています。弊社としても厳しく対応し、販売所に対して従業員への教育を徹底するよう強く求めていきます」
----ここまで




人死んでるじゃん・・
むしゃくしゃして人を殺したんだね。




↓朝日新聞は火をつけるのが好きみたい。
http://ameblo.jp/brief-comment/entry-11765988491.html より
e0241684_133575.png







南関東地区 デモ&パレードのお知らせ2014年3月~
目覚めたひとのブログ*
by koubou-ohayou | 2014-03-18 12:52 | 朝日新聞

あれ?この動画ブログに貼り付けることが出来ない?みたいなので
↓サムネイルと詳細情報






http://asianews2ch.livedoor.biz/archives/36042074.html
↑こちらより転載


68: バックドロップ(神奈川県) 2013/12/29(日) 12:15:38.61 ID:
朝日新聞が絶対に言えない事実

これがばれてしまうと朝日新聞が大ウソつきってことが
ばれちゃうから拡散するなよ!



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さらに

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これは日本政府及びサンフランシスコ講和条約に則った手続き

この決議に真っ向から反対し、
今にいたるまで「戦犯」と呼び続けているのが

朝日新聞です


285: サッカーボールキック(大阪府) 2013/12/29(日) 14:56:42.98 ID:
>>68
しかし朝日はこのサンフランシスコ講和条約に中国韓国は署名していないと言う
彼らの立場から物言ってんだよ。それを正当化してる


--ここまで--





サンフランシスコ講和条約第十一条の疑義を晴らす
ー誤訳を訂正し、新たなる出発を期待すー

http://shofujuk.cside8.com/20kenpo/007.html
↑こちらより転載


日本は、昭和二十六年九月八日、サンフランシスコで連合国と講和条約を結び、独立国家として国際社会へ復帰しました。つまり、国際連合加盟国として認められたのです。翌年の四月二十八日午後十時三十分、サンフランシスコ講和条約は、発効となりました。日本の国際社会復帰の時です。


講和条約十一条[戦争犯罪]の条文には、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。」という箇所があります。

講和条約は、英語とフランス語、スペイン語 、そして日本語の四カ国で作成されました。前述の条文で、「裁判を受諾し」という箇所がありますが、これは「裁判」でなく、「判決」と訳するのが正しい訳だと指摘されています。つまり、講和条約に記載されている「the judgements」は「判決」と訳するのが正しい解釈で、何故当時の外務省が、それを「裁判」と訳したのか、今のところ定かでないようです。

スペイン語では「las sentencias」とあり、それは「判決」または「宣言された刑」を意味するそうです。  

つまり、「連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾し」と訳するのが本当なわけです。

何故、「裁判」と「判決」の違いにこだわるのかというと、「裁判を受諾する」というのは、東京裁判を認め、東京裁判史観を正当なものとして受け入れることになるからです。

つまり、東京裁判で「平和に対する罪」としてあげられた「共同謀議して侵略戦争を計画し、準備し、開始し、遂行して、世界の平和を攪乱した」という罪で罰したことを、認めることになるのです。

但し、「判決を受諾し」と読めば、裁判そのものの正当性は認めないが、東京裁判の判決には従いますよ、という解釈ができるわけです。

東京裁判を支配し、実施したマッカーサー元帥は、母国に帰った二年後の昭和二十五年十月に、ウェーク島でトルーマン大統領と会談し、「東京裁判は誤りだった」と告白しています。また、翌年の五月三日、米上院議会軍事外交合同委員会の聴聞会で、聖書に誓い、「日本は自衛のための戦争をした」と証言しています。つまり、大東亜戦争を自衛のための戦争であったと証言したのです。その一文を紹介します。

日本は八千万人近い厖大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解して頂かなければなりません。

その半数近くが農業人口で、後の半分が工業生産に従事していました。日本は、絹産業以外には、国有の産物はほとんど何も無いのです。

彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫がない、ゴムが無い。その他、実に多くの原料が欠如している。そして、それら一切のものがアジアの海域に依存していたのです。

もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百の失業者が発生するであろう事を、彼らは 恐れていました。従って、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのこと だったのです。(「Yahoo!JAPAN/検索・マッカーサーと東京裁判ー[日本の戦争を自衛戦争と証言したマ ッカーサー〕」より)
 

東京裁判を実施した張本人が、東京裁判が誤りであったと言っているのに、当事国の日本が、「東京裁判は正しい裁判でした」と、国際社会に表明するのは、全く滑稽なことです。

昭和二十七年六月七日、日本弁護士会は、「平和条約第十一条による戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に伝えました。これが契機となって、戦犯釈放運動が全国規模で広がり、地方自治体が約二千万、各種団体が約二千万と、計四千万の署名が全国から集まりました。こうした世論に後押しされて、日本政府は、同年十月十一日、国内外に抑留されているすべての日本人戦犯の赦免減刑を、関係各国に要請しました。そして、議会は、こうした政府を支援すべく、昭和二十七年十二月九日と、二十八年八月三日の二度に亘り、「戦争犯罪による受刑者の釈放(赦免)に関する決議」を与野党を越えた圧倒的大多数の賛成をもって可決したのです。

これに連動して、昭和二十八年八月には、戦傷病者戦没者遺族等援護法が全会一致で改正され、連合軍の軍事裁判によって処刑された千六十八名の日本人を犯罪者として扱わないことを決定しました。


そして、彼らの死を「刑死」でなく、「公務死」として認定し、当時、困窮していた戦犯遺族に対して、遺族年金と弔慰金を支給することにしました。

昭和二十九年には、恩給法も改正され、戦犯への援護措置が拡充されていきました。


政府は、サンフランシスコ講和条約第十一条の条文にそってA・B・C級全戦犯の赦免・減刑を順次勧告し、了解を取り付け、その結果、A級戦犯は昭和三十一年までに、BC級戦犯は三十三年までに釈放されることになりました。

その結果、A級戦犯だった重光葵は、鳩山内閣で副総理兼外相に就きました。また、賀屋興宣は池田内閣で法相に就きました。A級戦犯容疑者だった岸信介は、内閣総理大臣まで務めました。こうして、政治的には、東京裁判の束縛から解放されていったわけです。

また、靖国神社では、厚生省から届く祭神名票を基にして、昭和三十四年からBC級戦犯の合祀を始めました。


A級戦犯については、昭和四十一年に祭神名票が届けられました。その後、崇敬者総代会が、昭和四十五年にA級戦犯合祀の方針を決めました。

しかし、時期については、宮司一任となり、五十三年に就任した松平永芳宮司が改めて総代会で確認した上、絞首刑となった七名、獄死した七名の計十四名のA級戦犯を合祀することにしたわけです。

ですから、東京裁判については、サンフランシスコ講和条約で誤訳によって「裁判」を受諾すると解したとしても、発布以後国内法で戦争犯罪法廷で戦犯とされた人たちすべてを「公務死」と決定したわけですから、わが国には、すでに戦犯はいないし、成立もしないことになるわけである。

しかも、スペイン語のサンフランシスコ講和条約第十一条には、「連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾し、」と記しているということですから、明らかに日本語文は誤訳であるということを実証していると思います。

また、英語の訳からしても、「判決」と訳すのが正しいということであれば、ことさら講和条約第十一条は東京裁判の正当性を受諾した内容でないことは、自明の理だといえましょう。
外務省の近代史の歴史認識は、「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました」という見解だそうです。サンフランシスコ講話条約をベースにした見解なのだと思います。

サンフランシスコ講和条約によって、日本政府は、東京裁判史観に基づき、大東亜戦争をアジアへの侵略戦争であったという立場を、いつまでも取るべきでないと思います。戦後の歴代内閣総理大臣の中には、大東亜戦争を侵略戦争とし、アジア諸国に多大なご迷惑をおかけしたと詫び、ひたすら謝罪外交を展開してきた人もいますが、もうここらで是正して欲しいものです。

一四九二年のコロンブスの新大陸発見以来、白人が世界を侵略し、支配してきた世界史を、一九四五年八月十五日の大東亜戦争終結で終止符を打たせた日本の世界史的役割の意義は、実に画期的で大きいものであったことに、日本人はもっと自信をもつべきでしょう。私たちの子孫には、、日本のその勇気ある歩みに自信と誇りを持たせ、そこから世界の平和に貢献する日本の在り方を考えさせるべきだと思います。

戦後六十年を経た今、東京裁判史観から脱却し、自信と誇りを持った国民として歩み、青少年の育成に務めていくべき時だという思いが募ります。

なお、以前、療養中の義父田澤邦造(法名、大和松邦)は、「白人のアジア侵略に対する黄色人種の戦いであった大東亜戦争に日本が負けたことにより、これからの人類の行方が、そして、日本の行方がどうなるであろうかと危惧し、涙が止めどもなく流れ号泣した」と、終戦を迎えた時のことを、声涙と共にお話になさったことがありました。私は、それを「歴史の証言」として受け止め、その思いを継承していくのが戦後世代の使命だと思いました。そして、後半の二つの稿は、療養中の義父に日本再生の誓いを込めて上梓させていただきましたことを付記しておきます。

--ここまで--





デモ&パレードのお知らせ2014年1月
目覚めたひとのブログ*
by koubou-ohayou | 2014-01-06 13:13 | 朝日新聞


【慰安婦問題】朝日新聞前主筆の若宮啓文氏「日本が公的資金を元慰安婦のためにも使うべき」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1387786153/

★韓日関係の改善策は? 韓国国会で討論会
【ソウル聯合ニュース】韓国国会で23日、冷え込んだ韓日関係の改善策を模索する討論会が開かれた。

討論会は国会統一外交安保フォーラムと与党セヌリ党の鄭夢準(チョン・モジュン)国会議員が代表を務める政策研究所が開催した。申ガク秀(シン・ガクス)前駐日大使、朝日新聞前主筆の若宮啓文氏、国会議員らが出席し、現在の韓日関係を分析し、改善策について意見を交換した。

若宮氏は、現在の韓日関係を「友好の反動期」と規定し、両国には過去にも多難な時期があったが現在はこれまでに例のない困難が潜んでいるとの見方を示した。旧日本軍の慰安婦問題、強制徴用者問題、独島問題など懸案の「パッケージ処理」を強調した上で、両国首脳部が新たな韓日関係を目指す 「新共同宣言」を発表することを提案した。また、植民地支配と侵略を認め反省と謝罪を表明し「村山談話」の継承は当然のことだと強調した。

慰安婦問題については、韓日政府が新しい発想で解決することが必要だとの考えを示した。日本が公的資金を元慰安婦のためにも使うべきだと指摘した。

独島問題については、日本が独島を譲り「友情島」と名付けることを提案したコラムを2005年に書いたが現実的には不可能だとした上で、両国が互いに自制することが望ましいとの見解を示した。

申前大使は両国関係について「来年初めまでに改善の動きがなければ、来年はずっと悪循環が続く恐れがある」との見解を示した。その上で、「2015年新共同宣言」が必要であり、このためには両国の知識人からなる共同委員会を構成すべきだと述べた。

韓日首脳会談については「リスクの負担があるが、行き詰った関係を改善する鍵となる。早期開催に向けた作業が急務だ」との考えを示した。また、「韓日関係は両国の国益と北東アジア情勢の面で、基本に忠実になる必要がある。互いの立場になって考える姿勢が出発点になる」と強調した。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/12/23/2013122302311.html





9 :名無しさん@13周年:2013/12/23(月) 17:11:00.50 ID:
朝日新聞の若宮啓文論説主幹は「日本人と韓国人」という本を出してる。

その中で彼は、02年のW杯の日韓共催は自分と河野洋平氏が共同で仕掛けたと書いている。 

河野洋平氏から若宮氏に、「日韓共催にしたい」という話があって、それで河野氏が政界や五輪・サッカー協会、体育団体への説得工作をやり、若宮氏は世論を共催に向けるために「共催推進の社説」を書いて支援して欲しいとの依頼であった。
それで自分が最初に「共催推進の社説」を書いた。
その努力が認められ、ソウルでのW杯開会式に韓国サッカー協会から主賓の特別待遇で招待れた・・・と自著で自慢している。
※一方、単独開催にこだわった長沼日本サッカー協会会長は開会式で不当な扱いを受けた。
--ここまで--




↑本は「日本人と韓国人」じゃなくて「韓国と日本国」の間違いかな?

http://www.amazon.co.jp/韓国と日本国-権-五〓/dp/4022579579
カスタマーレビューより
■若宮氏が「韓国では売国奴が国を滅ぼしたが日本は愛国者が国を滅ぼした」なんて無責任な他人事のような発言してますが、そもそもあの悲惨な戦争に国民を駆り立て日本を滅ぼし、戦争を煽ったのは若宮氏の朝日新聞では?まずは朝日新聞が戦前いかに好戦的な「大東亜戦争万歳」報道をしたかの総括と戦争責任を果たしてから発言して頂きたい。

カスタマーレビューより
■朝日新聞の若宮氏と東亜日報の権氏の対談という形式で、日韓政治の裏話から、北朝鮮の事、日韓ワールドカップ共催、近代アジア史から最後は文明論まで話が続いている。(中略)
2013年現在に目をうつすと、両国関係は当時より一層険悪な雰囲気になっており、本書の執筆者の希望していた方向とは真逆に走っている。両者が思っていた以上に、両国ともにナショナリズムのコントロールが難しくなってきているのだろう。



http://oha2008.hamazo.tv/e2265963.html
■中塚明の本で尊敬をこめて言及されているのが、元東亜日報社長、金泳三の副総理も務めた知日派、権五琦(クォノギ)である。朝日新聞の若宮が聞き出す形での対談。権は日本語も達者で、若宮より日本の歴史に詳しいとも。ユーモアもある人だ。

権は、嫌悪をもって韓国を愛するという。韓国の偏狭なナショナリズムを厳しく批判する。日本でも、ちょっと自国を批判すると売国奴呼ばわりされるが、同じだ。

日韓ワールドカップ開催の話題もある。朝日の社説がきっかけだったと若宮が自慢する。試合では絶妙なタイミングで日本が先に負けたことがよかったと、二人は投合する。このイベントが成功したあと、韓流ブームがおこった。このブームでは、「狐につままれた」ように感じた日本人がいただろうが、韓国ではこの表現、「騙された」という刺激的な意味になるという。



行動する保守運動のカレンダー全国版
目覚めたひとのブログ*
by koubou-ohayou | 2013-12-24 07:46 | 朝日新聞