日本の国益


by Jam
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吉田清治の息子は朝鮮人…在日成り済まし説を追う


https://twitter.com/no_minsu/status/496585009805799425
吉田清治の息子は朝鮮人…在日成り済まし説を追う 東アジア黙示録/ウェブリブログ
http://dogma.at.webry.info/201401/article_2.html …ちょっと古い記事ですけど再度ご紹介。
吉田清治はどんな人物だったのか?




リンク先一部抜粋↓


--ここから--

吉田清治とはペンネームで、本名は吉田雄兎という。

(中略)

史実どころか自分史をも嘘で塗り固めた吉田清治。その人生で最も不可解なかたちで登場するのが、吉田の息子だ。

【突然現れた4歳下の“息子”】

金永達(キム・ヨンダル)という息子が吉田清治のデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』で紹介されている。もちろん日本人ではなく、朝鮮人。そして、この名前もまた仮名だ。

実名は、李貞郁(リ・ジョンウク)。秦氏への説明によると、吉田は昭和12年4月に、この李貞郁を養子に迎え入れたという。不自然で唐突すぎる縁組みだ。

この時、大正2年生まれの吉田雄兎は24歳。設定では大学卒業直後の独身者だ。一方の李貞郁は、大正6年生まれの20歳だった。4歳年下の朝鮮人をいきなり養子として入籍させたとうのである。


(中略)

【1人目の吉田雄兎は死んでいた】

吉田清治とは何者なのか…プロフィールを調査していた秦郁彦氏は、学歴を辿る過程で、衝撃的な事実に出くわす。吉田雄兎は、戦前に死亡していたのだ。

昭和初頭、吉田雄兎は地元福岡の門司市立商業高等学校に入学した。同校は大正7年創立の伝統校で、現在は福岡県立門司大翔館高校へ名称を変更している。

その門司市立商高の昭和6年度卒業生名簿には、吉田雄兎「死亡」と記されていたのだ。何らかのミスがあったようには思えない。不明ではなく、ハッキリと死亡だ。
(以下略)

--ここまで--






げっ!こんな説があったの知らなかった

プロフィールから調査した吉田雄兎は戦前に死亡していた!?

そして吉田清治こと吉田雄兎の死亡は確認されていない?


すべてが薄気味悪くて背筋がゾワゾワきました。
なにこれ...




※追記
"2000年代以降は消息が掴めない状況が続いたが、週刊新潮2014年3月13日号によると、吉田の長男の話として既に2000年7月に死去していたことが判明" http://ja.wikipedia.org/wiki/吉田清治_(文筆家)
..とあるけど、吉田の長男とは4歳年下の養子の事かな?


ん?

http://dogma.at.webry.info/201401/article_2.html
この時、大正2年生まれの吉田雄兎は24歳。設定では大学卒業直後の独身者だ。一方の李貞郁は、大正6年生まれの20歳だった。4歳年下の朝鮮人をいきなり養子として入籍させたとうのである。

吉田の小説では、息子は同じ昭和12年に満州に渡って日本人教師と結婚。そして陸軍に入隊し日支事変で戦死する。実際とは大きく異なるフィクション上の無駄な盛り上げエピソードだ。

「養子にした李貞郁は、戦後は日本人として生活していたので、差別を避けるため金永達の仮名を用い、戦死していたことにしておいた」(『慰安婦と戦場の性』244頁)

嘘が暴かれてから4年後の平成8年、吉田は秦氏にそう明かした。悲劇的な息子の戦死シーンは完全な創作だった。それでも吉田清治は、著作がフィクションであることを認めようとしなかった。

吉田本は一事が万事、こんな調子である。秦氏の質問に対し、吉田の息子・李貞郁は昭和17年に妻帯し、58年に死亡したと答えている。また生前の職業は、労働組合の幹部だったという。

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ん?

吉田の息子・李貞郁は昭和17年に妻帯し、58年に死亡した。
58年だと1983年だから・・

→"2000年代以降は消息が掴めない状況が続いたが、週刊新潮2014年3月13日号によると、吉田の長男の話として既に2000年7月に死去していたことが判明"


ん?
え?




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by koubou-ohayou | 2014-08-06 17:31 | "慰安婦"問題