日本の国益


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田母神俊雄元航空幕僚長の更迭の原因となった論文(要約)




田母神俊雄元航空幕僚長の更迭の原因となった論文をきちんと読んでみよう。




↓コピペ(--ここから--)



論文の概略としては、「日中戦争は侵略戦争ではない」・「日米戦争はフランクリン・ルーズベルトによる策略であった」とする自説を展開したうえで、日本政府は集団的自衛権を容認すべきであると主張したものであった。以下は要略である。



中関係
日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが、相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。蒋介石国民党の間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めていた。
1936年の第二次国共合作[7]によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。
『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(ユン・チアン、講談社)や『黄文雄の大東亜戦争肯定論』( ワック出版)[8]」、『日本よ、「歴史力」を磨け』(櫻井よしこ編、文藝春秋)」によれば、1928年の張作霖爆殺事件は関東軍の仕業ではなく、コミンテルンの仕業であるという説が極めて有力である。
東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言[9]している。
したがって、我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をした。これは朝鮮半島の支配統治から明らかである。
コミンテルンの工作を受けたアメリカは蒋介石に戦闘機100機からなるフライングタイガースを派遣するなど陰で支援しており、真珠湾攻撃に先立つ一箇月半[10]も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していた。


米観
ルーズベルト政権の中に300人のコミンテルンのスパイがいた。(ベノナファイル、米国公式文書)
財務省ナンバー2の財務次官[11]ハリー・ホワイトはコミンテルンのスパイかつ日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であり、彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、日米戦争に追込んだ。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で米国大統領になった為、日米開戦のために見かけのうえで第一撃をさせる必要があった。ルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行した。
もしハル・ノートを受け入れていたら、一時的に戦争を回避出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第二, 第三の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。
人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている[12]。


後社会
東京裁判は戦争責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。そのマインドコントロールのために、自衛隊は領域の警備も出来ず、集団的自衛権も行使も出来ない。武器使用も極めて制約が多く攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦め(がんじからめ)で身動きできない。
パリ講和会議に於いて、日本が人種差別撤廃を条約に書込むことを主張した際、英国や米国から一笑に付された。日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのが、あと100年ないし200年遅れていたかもしれない。
多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある[13]。
日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多い。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。以上のことから日本が侵略国家だったなどというのは濡れ衣である。


文公表の経緯
こうして田母神の受賞が決定したが、元谷代表から田母神に名前を公表しても差し支えないかとの問い合わせが行われた。田母神は2007年5月に自衛隊の内部報(航空自衛隊幹部学校幹部会誌『鵬友』)で既出の論文と内容は同じであるから「問題ない」と回答した。その後、元谷代表は審査委員に連絡することなく[3]、10月31日、アパのWebサイト上の受賞作が発表されるとともに、論文がPDFファイルで一般公表された。また同論文の英文も公開された。


空幕僚長更迭
10月31日午後3時、定例記者会見を終えた田母神は、防衛省大臣室や次官室を訪ね、各所に受賞論文を配った。この時増田好平事務次官に田母神は「賞金300万円取ったんです」と語ったという。増田事務次官と中江公人大臣官房長は論文を読んで「これはまずい」と判断し、千葉にいた浜田靖一防衛大臣に連絡し、午後4時には首相官邸にも連絡した。
夕方、東京に戻った浜田防衛相は田母神と電話で会話し、辞職を勧告した。しかし田母神は「間違っていますかね」と答え辞職を拒否した。午後10時、田母神の更迭が持ち回り閣議によって決定された。


迭の理由
田母神論文中には日本国政府の見解(村山談話、小泉談話)と異なる、或いはその見解を否定する立場からの主張が行われていると防衛省幹部と政府は判断した。
政府の対応の理由
浜田靖一防衛大臣は、参議院外交防衛委員会でなぜ懲戒手続きに入らなかったのかと質問されて、懲戒手続きに入ろうと検討したが長期化した場合1月21日に田母神が定年退職になり審理が終わってしまうので、一番厳しい措置をするべきだと考え、早期退職を求めたと答弁した[16]。



田母神俊雄公式サイト
田母神俊雄 - Wikipedia  ← 書き換え工作が行われつつある。





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by koubou-ohayou | 2014-01-08 20:28 | 政治