高句麗というのはいつあった王朝か
2012年 11月 02日
高句麗というのはいつあった王朝か
世界史はモンゴル帝国から始まった
今の北朝鮮からずっと北側に遼東半島、遼寧省(りょうねいしょう)、吉林省と広がっていた、まぁ・・国家。
紀元前37年に建国されました。
それから一度滅ぼされ、また大きくなり、また滅ぼされてと、西の支那(中国)で起こった王朝との戦争をしながら、最盛期にはこの様な色で広がり、これが「広開土王(こうかいどおう)の時は強かったんだぞ!」という地図↑ですが、結局北側を失い、南に下りてきて朝鮮半島の三国時代、高句麗と百済と新羅がある。
朝鮮半島の三国時代 高句麗VS百済VS新羅
で、日本の倭(わ)は百済と同盟していて、実は百済を助けに倭の五王が北に上がって行って高句麗を攻めた。で、広開土王の所まで攻めたので、この広開土王碑には「倭が攻めて来た」という記述がある。
668年唐が高句麗を滅ぼす
で、こんなに大きな国だったのに668年、日本の天智天皇の即位の年に「大唐帝国(だいとうていこく)」、その年に支那が再び統一された。唐に滅ぼされて無くなってしまった。唐が高句麗を滅ぼす。
で、この「高句麗」という名前、韓国語で「コグリョ」と言うんです。
それでその後、三国を再び統一した朝鮮半島の国家が「高麗・こうらい」っていうんです。→「コリョ」っていうんですね。「コグリョ」と「コリョ」っていうんですけど、この「コリョ」っていうのはモンゴルに滅ぼされてモンゴルの家来になってしまうのだが、この「コリョ」が「コリア」の語源なんですよね。いま英語で「Korea」っていうのはその高麗(コリョ)からきているけど、この高麗(コリョ)は、高句麗を引き継いだので自分たちの事を高麗(こうらい)と言った訳です。
ところが問題なのは、実はこの高句麗が支那だというのが今の支那の主張なんです。
だって高句麗を見て分かる様に、北朝鮮の方だけでなく現在はもう支那である東北地方に広く広がった国家なので、2002年から支那の社会科学院が少数民族の調査を始めて、2004年になって「高句麗は中国の一地方政権である」と発表した。
このとき韓国は国際問題化しまして、また外交問題になり、ネットなどで騒いで大騒ぎをした。で、結局この時は有耶無耶になっているんですけど・・このチュモンというドラマが出来たのが2006年なんですね。
だから、明らかにその時のその「高句麗は支那である」という主張に対抗して、新しく「いや、違う!」と、「高句麗というのは今の朝鮮人の祖先が建てた王朝だからこれは朝鮮史である」というために作っているんですね。
なので、そのドラマのテーマが「大韓帝国に対抗して古朝鮮を復興する!!」
つまりは、中華人民共和国に対抗して「朝鮮は頑張って朝鮮としての独立を実行するんだぞ」というテーマが実は下に流れていると。
朝鮮半島で書かれた最も古い歴史書は1145年、12世紀なんです。
それからハングルは、実は15世紀に出来たんです。
つまり、15世紀より昔は漢字の史料しかないんですよ。
なので、日本は日本語、日本文字、万葉集を8世紀に作っているんですね・・700年も差があるんですよ。だからつまりは、本当の「話す」朝鮮語、韓国語っていうのが書き留められる様になってから非常に浅い。
・朝鮮半島で書かれた最も古い歴史書は12世紀
・ハングルは15世紀に出来た(15世紀より前は漢字の史料しか無い)
・日本→万葉集は8世紀
700年の差
日本人はそれに比べたら8世紀から、しかも万葉集を耳で聞いたら大体理解出来るくらいに連続性を持っているので、歴史に対する信頼性とか安定性がとてもあるが、その、12世紀も漢字で書いた史料しか無く・・それから檀君神話を作って・・それでもハングルは15世紀にしか出来なくて、モンゴルが引き上げたあと、実はモンゴルが使っていたパクパ文字(蒙古字)を見習ってハングルを作った。つまり表音文字アルファベットがあると便利だという事が分かって作ったんです。
けれども、最初ハングルは女子供というか、立派な男の使うものではなかったので、実際には20世紀あたりまであまり使われる事も無く発音記号としても使われないで残っていて、日本が開国を要求し、明治になってから(日朝修好条規1876年)といって、国を開かせて条約を結び、日本から輸出品も行くし、人も行く様になった後「こんなに立派な文字を持っているのに、もっと大事にしてちゃんと使ったらどうだ?」と日本の学者が随分言って、ハングルがようやく日本のひらがなの様に使われるようになったのが実は史実(歴史の事実)なんですよ。
「日本が創氏改名」とか、こういう事ばかり言いますけどね、その前に「そのハングルを使いなさい」と言ったのも日本人なんですね。
それでちょっと問題なのがもう一つのテレビドラマ「チュモン」も古い時代、史実を混ぜながら、でも「朝鮮は非常に大きい地域を支配していた」、「チュモン」のなかでチュモン王が部下と一緒に「古朝鮮を復興するぞー!!」とかけ声をあげる時に、古朝鮮の地図が出て来る。皮に書いた地図が。するとなんとですね、さっきの高句麗の場所全部と、この南の方も塗ってある!つまりは南京くらいまでが「朝鮮、古朝鮮だ!!」って。
それをチラッと見せて仕舞うのね。
さすがに歴史の政治問題にならない様にしてたかと思うがそれを「凄いわ~」、とね。「檀君もそんなこと言ってなかったわ~」、とね。
檀君神話・1908歳で亡くなった檀君は、さすがにですね、朝鮮を支配していた古い時代の古朝鮮の人なの。だからこっちのチュモンは、今の歴史問題が出たので、北まで全部を古朝鮮で拡大した訳なんです。
歴史というのは実は新しく作るほど、古い時代の事を拡大して作る恐れというのがあるものなんですね。テレビを楽しむのもいいけれど、そういう裏も考えてほしいなと。(ハングルの問題へと続く)
■韓国「米国が歴史を歪曲」、高句麗の歴史をめぐる報告書で修正要求
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世界史はモンゴル帝国から始まった
今の北朝鮮からずっと北側に遼東半島、遼寧省(りょうねいしょう)、吉林省と広がっていた、まぁ・・国家。
紀元前37年に建国されました。
それから一度滅ぼされ、また大きくなり、また滅ぼされてと、西の支那(中国)で起こった王朝との戦争をしながら、最盛期にはこの様な色で広がり、これが「広開土王(こうかいどおう)の時は強かったんだぞ!」という地図↑ですが、結局北側を失い、南に下りてきて朝鮮半島の三国時代、高句麗と百済と新羅がある。
朝鮮半島の三国時代 高句麗VS百済VS新羅
で、日本の倭(わ)は百済と同盟していて、実は百済を助けに倭の五王が北に上がって行って高句麗を攻めた。で、広開土王の所まで攻めたので、この広開土王碑には「倭が攻めて来た」という記述がある。
668年唐が高句麗を滅ぼす
で、こんなに大きな国だったのに668年、日本の天智天皇の即位の年に「大唐帝国(だいとうていこく)」、その年に支那が再び統一された。唐に滅ぼされて無くなってしまった。唐が高句麗を滅ぼす。
で、この「高句麗」という名前、韓国語で「コグリョ」と言うんです。
それでその後、三国を再び統一した朝鮮半島の国家が「高麗・こうらい」っていうんです。→「コリョ」っていうんですね。「コグリョ」と「コリョ」っていうんですけど、この「コリョ」っていうのはモンゴルに滅ぼされてモンゴルの家来になってしまうのだが、この「コリョ」が「コリア」の語源なんですよね。いま英語で「Korea」っていうのはその高麗(コリョ)からきているけど、この高麗(コリョ)は、高句麗を引き継いだので自分たちの事を高麗(こうらい)と言った訳です。
ところが問題なのは、実はこの高句麗が支那だというのが今の支那の主張なんです。
だって高句麗を見て分かる様に、北朝鮮の方だけでなく現在はもう支那である東北地方に広く広がった国家なので、2002年から支那の社会科学院が少数民族の調査を始めて、2004年になって「高句麗は中国の一地方政権である」と発表した。
このとき韓国は国際問題化しまして、また外交問題になり、ネットなどで騒いで大騒ぎをした。で、結局この時は有耶無耶になっているんですけど・・このチュモンというドラマが出来たのが2006年なんですね。
だから、明らかにその時のその「高句麗は支那である」という主張に対抗して、新しく「いや、違う!」と、「高句麗というのは今の朝鮮人の祖先が建てた王朝だからこれは朝鮮史である」というために作っているんですね。
なので、そのドラマのテーマが「大韓帝国に対抗して古朝鮮を復興する!!」
つまりは、中華人民共和国に対抗して「朝鮮は頑張って朝鮮としての独立を実行するんだぞ」というテーマが実は下に流れていると。
朝鮮半島で書かれた最も古い歴史書は1145年、12世紀なんです。
それからハングルは、実は15世紀に出来たんです。
つまり、15世紀より昔は漢字の史料しかないんですよ。
なので、日本は日本語、日本文字、万葉集を8世紀に作っているんですね・・700年も差があるんですよ。だからつまりは、本当の「話す」朝鮮語、韓国語っていうのが書き留められる様になってから非常に浅い。
・朝鮮半島で書かれた最も古い歴史書は12世紀
・ハングルは15世紀に出来た(15世紀より前は漢字の史料しか無い)
・日本→万葉集は8世紀
700年の差
日本人はそれに比べたら8世紀から、しかも万葉集を耳で聞いたら大体理解出来るくらいに連続性を持っているので、歴史に対する信頼性とか安定性がとてもあるが、その、12世紀も漢字で書いた史料しか無く・・それから檀君神話を作って・・それでもハングルは15世紀にしか出来なくて、モンゴルが引き上げたあと、実はモンゴルが使っていたパクパ文字(蒙古字)を見習ってハングルを作った。つまり表音文字アルファベットがあると便利だという事が分かって作ったんです。
けれども、最初ハングルは女子供というか、立派な男の使うものではなかったので、実際には20世紀あたりまであまり使われる事も無く発音記号としても使われないで残っていて、日本が開国を要求し、明治になってから(日朝修好条規1876年)といって、国を開かせて条約を結び、日本から輸出品も行くし、人も行く様になった後「こんなに立派な文字を持っているのに、もっと大事にしてちゃんと使ったらどうだ?」と日本の学者が随分言って、ハングルがようやく日本のひらがなの様に使われるようになったのが実は史実(歴史の事実)なんですよ。
「日本が創氏改名」とか、こういう事ばかり言いますけどね、その前に「そのハングルを使いなさい」と言ったのも日本人なんですね。
それでちょっと問題なのがもう一つのテレビドラマ「チュモン」も古い時代、史実を混ぜながら、でも「朝鮮は非常に大きい地域を支配していた」、「チュモン」のなかでチュモン王が部下と一緒に「古朝鮮を復興するぞー!!」とかけ声をあげる時に、古朝鮮の地図が出て来る。皮に書いた地図が。するとなんとですね、さっきの高句麗の場所全部と、この南の方も塗ってある!つまりは南京くらいまでが「朝鮮、古朝鮮だ!!」って。
それをチラッと見せて仕舞うのね。
さすがに歴史の政治問題にならない様にしてたかと思うがそれを「凄いわ~」、とね。「檀君もそんなこと言ってなかったわ~」、とね。
檀君神話・1908歳で亡くなった檀君は、さすがにですね、朝鮮を支配していた古い時代の古朝鮮の人なの。だからこっちのチュモンは、今の歴史問題が出たので、北まで全部を古朝鮮で拡大した訳なんです。
歴史というのは実は新しく作るほど、古い時代の事を拡大して作る恐れというのがあるものなんですね。テレビを楽しむのもいいけれど、そういう裏も考えてほしいなと。(ハングルの問題へと続く)
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by koubou-ohayou
| 2012-11-02 22:14
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